「病気」に対する当療法室の考え方
病気、というものは、
「魂=普段は自覚できない脳の深いところの記憶」を伝えてくれる一つのツールであり、
「神様」=自分ではどうすることもできない力を発揮するが、真理を発見し実行したとき、いい方に流れる力、奇跡
ということを生じさせる道具・ツールとして、ある・起こるのではないかと思っています。
病気の相談を受けるとき、必ず気になることがあります。
それは
「”今まで通り”」に戻りたい、
「何故こんな事になってしまったのか」、
と思っていらっしゃられますと、
病気は去らない、と感じています。
「今までよく頑張ってきたが、
もう次の場所に行く時期が来た」
「次のレベルに移行する時が来た」
そんな時に、体に症状が出ることが、私にも、多いからです。
安定して、都合がよく、変化のない人生、というのを好まれる人も多い(幼少期の恐怖記憶などが原因)のですが、
この世は、そうした変化のない、安全最優先の人生を送ることだけに存在していません。
別の角度から見たならば、もう「試験には通りました」次に行きましょう、という優秀な人こそ
病気は起こる、
そして、病気自身を治すことが目的ではなく、
治す過程を体験すること、というケースも有るので、
完治するとか、
元の生活の戻るために、前の状態に戻す、
ということを目的に、治療に当たらないほうがいいのかも知れないと思っています。
そして、「健康」であること、というのは、
必ずしも重要ではない、
ということも私は感じます。
「健康」であれば幸せか?
というと、
「病気のときのように、休養を取れない」
「病気として感情をデトックスすることができない」
ということでも有るからです。
「健康」を証明してもらうために、検査したり、人は努力をします。
否定はしませんし、体を大事に扱うというのは良いことに変わりありません。
ただし、やはり「心」が病気を発生させていることには変わりはなく、
何もすることがない、不安だけが有るから体をケアしておこう、という考え方をしているならば、
それはもしかして生きている、とは言えない状態かもしれません。
「病気が消えるとき」
の条件は、
「病気を消してしたいことがはっきりしている」
ときです。
それは
「以前の暮らしを続ける」
みたいなことではない、と前述しました。
必ず、「叶えたい欲望・願望」が有って、
「病気に対するアプローチ・努力」があって、
心の成長や生活改善があって、初めて、
病気は存在意義をなくすのだと思います。
病気は敵ではありません。
本来の人間らしい自由な生活や人生を取り戻すために、病気は一時的におせっかいを焼きに来る神様だと私は考えています。
どうぞ怖がったり、嫌に思ったり、面倒くさく感じたり、恐れないでほしいのです。
大きな病気は、人生や記憶を浄化するチャンスです。
ぜひ「充実した治癒の道」を歩まれて、
希望のある人生を手にいれるために、
ヒプノセラピーという手段を体験しにいらしていただくことを、おすすめします。