top of page
花の茂み
セラピスト 熊崎細織(くまざき さおり)

日本ホリスティックアカデミー認定

(年齢退行・前世療法)

​日本ヒプノ赤ちゃん協会認定(非会員)

催眠出産・未妊セラピープラクティショナー

ソマティックヒーリング(体細胞療法)上級修了

量子波ヒーリング マスターヒーラー

はじめまして。

 ここでは私個人の紹介をさせていただきます。

私は1972年、岐阜県にて小さな工場を営む夫婦の元に、

第二子として生まれました。

「出産時のエピソードは、そのまま妊婦と子供の潜在意識と魂を現す」

という話があるのですが、

私は医師が往診に出掛けている間に生まれてしまった、

というエピソードがあります。

つまり、「医者に介入される人生を拒む」魂の子供が、

ベストのタイミングを見計らい出てきたのだと思います。

私は「自分が一番の自らの主治医」

という魂を持って

生まれたのだと思います。

小さな頃から私は、

大きな疾患こそありませんでしたが、

当時はまだ珍しかった

アトピー性皮膚炎や、

慢性胃炎、起立性調節障害、

過敏性腸症候群などの

「プチ疾患」を連発。

(病名がわからないだけで、もっと不調は抱えていました)

短大卒業目前にして、鬱と不眠で倒れました。

疾患の原因の種となっていたもの。

それは

「母親の”自然依存症的”虐待」

の被害者、という

「トラウマ(精神的傷)」でした。

その事を医師から認定されたのは、

40歳を目前にした頃でした。

薄々、小さい頃から自覚は有りましたが、

周囲は虐待を全く認めてくれませんでした。

初めて「他人に虐待を認知してもらえた」

ということは、

私にとって大きなことでした。​

そして私はやはり

「自分の病をちゃんと知っていた」

のです。​

ずっと実家には居づらさを感じ、

周りの勧める姿を、真面目に、

一社会人として、働いて、

自立をして生きていました。

そして、結婚をし、「本当の家族」ができた!

喜びの直後に、

パートナーが事故死。

その直後から、肉体と精神が叫びを上げ、

社会生活が思うように続けられなくなりました。

虐待の精神的傷が、

一気に表面化し、

病院に次ぐ病院通い、

治療に次ぐ治療、

しかしどれも効果はなく、30代は治療で終わった、

という感じで終わりました。

私が最終的に陥っていた症状は、

「縁を切っている母親が、ある日自分の利益を見つけたら、何事もなく復縁を迫りに来るだろう」

という「恐怖心」

(恐怖妄想癖、不安神経症、PTSD)

それで心臓が弱り、

椅子に30分座っていられない状態でした。

その後、自然療法でケアし、

多少の改善は有ったものの、

探求の日々は続きました。

最終的に、肝臓などをケアするために探していた先で、

催眠療法・ヒプノセラピーを知りました。

同じ、ヒプノセラピストの名前を、3度、

全く違う人から紹介されたサイトで、目にしました。

「天使のサイン」、とばかりに、

すぐセラピストのもとに向かいました。

セラピー直後、すぐに

「体力が戻った」、という体感がありました。

椅子に座り続けられるどころか、

活動的になり、

母親からの恐怖行動妄想も、

気がつくと消えていました。

故に、ストレスが激減。

「これこそ、私が求めていた

”ストレス対策”」

そう感じたとき、

有名セラピストからの

「催眠を学んでみないか」という誘いを受ける形で、

催眠療法を学び、

今に至ります。

催眠療法を学べば学ぶほど、

「実は、幼少期の虐待のストレスを自己暗示していた」​

「本当は、自分で症状を出しながら、

私は自分を守っていたのだ」

「医師ではなく、自分が病を治しているのだ」

などの発見があり、

「魂の傾向」を実感。

催眠療法の資格をおおよそ取得後、

様々な自然療法への探究を深めて、

今に至ります。​

様々な病歴・治療歴を活かし、

また、自然療法の知識も、

必要に応じて、

皆様に提供いたしております。

「人と人の出逢いは、

”心”や”意思”が引き寄せる」

という言葉を信条としております。

私は「常に成長と改善を試みている」人間です。

「改善・変化をしたい人のための最善の場所」

を目指し、日々自己努力致しております。

「成長と改善のエネルギー」だけは

必ずお渡し出来ると思っています。

どうぞよろしくお願いいたします。

皆様の心の平和と、

この世が愛で満ち溢れることを祈ります。

​(2021年8月・記)

IMG_20210916_181957_edited_edited.jpg

​(旧・飯田細織)

bottom of page