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虐待について

​(自然発症型依存症としての破壊行為)

(合わせて「虐待の認定基準」を書いたブログをお読みいただけると幸いです。)

ここでは、「(小児)虐待のシステム」についての理解を深め、

お子さんをお持ちのかたに向けて、

(特に「子育てに限界」を感じる人)

また、大人であるご自身が

「人関係が苦手」

「幸せの実感がない」

という実感のあるかたに向けて、

当療法室の分析を記したいと思います。

①当療法室的「虐待」の大まかな捉え方・概念

まず、(小児)虐待行動、というのは

「自然発症的依存症」(日常的行動)である、ということです。

「依存症」というと、過食やアルコール依存、薬物依存、などを思い浮かべますが、

小児虐待も、「他人にわからない」形での、非常に静かな形で行われる「依存症」であり、

「加害者本人にあまり自覚がない」ことも多いことです。

「生活の一部」「習慣行動」となって現れていることも多いのではと思います。

②「自然発症的に虐待が出る」のはなぜか

 

 

 

とても大事なことは

「虐待の加害者には必ず、被害者だった経験がある」

ということなのです。

”虐待のフロー”

幼少期の被虐待

生命力を奪う(潜在意識の力があまり使えない)

不安や恐怖心が強く過覚醒状態が続く

日常的に疲労感が強くなる

子供などの「ケアが必要の状態」な存在に対し、

羨ましい気持ちが湧く、

もしくはストレス発散の場がそこしかない

虐待

幼少期に、

①親や家族から、孤独にされた​

②行儀・マナー・意味のない行動習慣を厳しく命令され続けた

③学業成績などで厳しくされた

などの環境を経験すると、

子供は「子供らしく、自由な」記憶を幼少期に形成することが出来ません。

「育てられた」「自分の命が大切な存在」だという記憶が、

幼少期に形成されないと、

自分の「命」自体に、疑いを持って生きていく人生が続きます。

そして、そのまま大人になって、

「不満足幼少期記憶」を持ち続けたまま人生を続けていくと、

身近な「自分の子供」や他の人の「自由で幸せそうな姿」に

「自然に反応」するようになって、「虐待」が始まります。

(これが職場の部下に対して行われるとパワハラになります)

「自分の中のインナーチャイルド」が

「私も幸せで自由になっていいはず!」と思うのは当然であり、​

それが「羨ましい」という気持ちだけで収まらないほどの、

幼少期の記憶に「純粋性」が育まれていない脳の記憶の状態がある時

自然発生的に依存症のような形で虐待は発生します。

③「純粋性」が少ない状態の人生での「リスク」

 

 

 

 

 

人は、物事を判断・選択する時に、「経験と情報」を元にしています

大きな判断をする時、人は常に「催眠状態(大脳皮質と大脳辺縁系が深くつながる)」となりますが、

記憶の入っている「辺縁系(脳深部、と呼んでいます)」に

「幼少期恐怖記憶・孤独記憶」が多いと、​

世の中の情報に流されやすく、

「自分にとって価値のある判断」が出来ません。

さて「自分にとって価値のある判断」とは何でしょう?

私は自分的に「感動が多い」選択や判断、だと思っています。

それを選択できる「種」「元」「基礎」となる「記憶」を

「純粋性」と呼んでいます。

一般的に、「純度の高いもの」「純粋な他人の姿」に人は感動し、

エネルギーを貰います。

しかし、多くの「脳深部記憶」を形成する幼少期に、

不純で恐怖や不安の多い記憶 > 純粋で感動の多い記憶

という状態になると、

大人になって「恐怖や不安をまず解消したい」という行動が、依存性的に現れてきます。

よって「純粋な記憶からの選択」がしにくい状態になります。

この記憶状態を抱えたまま生きる、ということが、

「不幸の引き寄せ」「不充実な人生の種」になります。

④終わりに

よく、「人生には苦労や忍耐はつきもの」という言葉を聞きます。

しかし、私はそれを信じません。

人の人生というのは、勉強や努力の連続であり、当然の行動だというのは認めます。

 

しかし「したくもない努力や学び」「我慢」を

「世間ではよくあることだから」という理由で続けている人というのは少なくありません。

 

運命からは逃れられません。

学ばなければならない「必須科目」も人生の中にはあるでしょう。

 

しかしそれらの全てが、「苦痛を伴うもの」というのは、

私は違うと思っています。

「必要じゃない」と拒否する事のできる人生も、あります。

学びや努力、忍耐の対象を選ぶことができることだって多いものです。

不要な学びや、忍耐、幼少期のネガな記憶をそのままにして生きれば、

必ず「年少者」や「立場の下のもの」を対象にして、

「破壊行動」が始まるのが

 

「自然発症的依存症」としての「虐待」行為、です。

要は「我々大人が、孤独や恐怖記憶をケアする」ことだと思っています。

 

 

多くの大人が「ネガな幼少期の記憶」に対して、

「がむしゃらに頑張る」

「自分がとにかく耐える」

「自分を殺す」

「虐待に気づかないで、虐待している」

という行動をとっています。

 

「戦争を起こす人間は、他人の幸せを妬む人間だ」

という言葉がありますが、

虐待は一番小さな団体の中で起こる戦争とも言えます。

大人は「頑張る」ことが大切だという風潮がありますが、

私は「意識して、リラックスやケアをすること」が、

すべてのものに対して利益のあることだと思っています。

今現在の状態を改善したい全ての大人に、

「幼少期記憶ケア」をお勧めします。

(2019年1月・記)

 

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